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ABOUT  

名前の木舎は、「モークシャ」に由来します。

モークシャとは、サンスクリット語で「完全な自由」を

意味しています。

 

「自由」といっても、モノやお金を好きなように得たり、

他人やモノをコントロールしたり傷つけたりできるような、

エゴイスティックな満足のための自由ではありません。

 

愛されたいという根源的な欲求を認め、

​いのちとして尊重され、傷つけられない生き方です。

どうにもならない人生、死や苦しみから逃れられない運命、

そんなマイナス的価値観からの解放です。

 

自分という枠組みを自分のカラダやココロに閉じ込めた自我より

もっと大きな自分へと成長させた先に出会う自己という存在。

周りの人や 環境と調和の取れる生き方を目指した

成長を伴った「自由」です。

 

自分とは何か、世界とは何か、という智慧を知ること、

そして本来のわたしは世界と一つであるということ、

本当の自分はすでに自由であると知ること。

外面的な成果を求めるよりも、まずは、内面的なココロの成長を求めていこうという意味で、モークシャがあります。

木舎 森のようちえんと自由ながっこうは、

「モークシャ=自由」になれる場所をめざしています。

 

わたしたちには好奇心というプログラムが内蔵されています。

「自分とはなにか、ナニモノかを知りたい」

「自分」とは自分以外の刺激に反応する生き物だと分かる時、

「この世界とはナニモノなのか」という好奇心がわきます。

「知らない」という不自由さから逃れるために、

好奇心を最大限に生かせる場であること。

 

子どもたちには権利があります。

この権利には、存在を尊重される権利、学ぶ権利があり、

強制、命令されることを排除することも含んでいます。

学ぶという中には「自ら進んで」、好奇心からはじまる

自主性がないと本当の学びにならない、と考えます。

好奇心、自主性、自律の妨げとなるのは、

「強制」「命令」「義務」。これらはやがて依存を育てます。

強制されると動機を失い、命令されると自主性を奪い、義務がのしかかると、好奇心や生きるエネルギーが奪われます。

 

実は、子どもはすでにモークシャなのです。

自分で感じ、記憶し、考え、自律しようとしている存在。

大人とは違った感性で思考し、

一つの人格を持って今を生きています。

大人は、子どもが自分らしく生きるため、

子供の気持ちを聴き、寄り添い、成長を支えていくことで

​大人自らが成長し、モークシャ「自由」になるのです。

喜捨の文化をめていきたい

 

このがっこうの理想は、活動資金をすべて喜捨(ドネーション)

によってなりたつ運営、経済活動からの自由も目指しています。

 

利害関係ではなく、損得勘定でもない、

サービスを受ける側、提供する側ではない、

自分自身の価値を認め、すべてを尊重し合う、

お互いを認め会える関係性をめざしているからです。

 

木舎はかつての寺子屋のように、喜捨によって運営される

システムが可能なのかという実験をしています。

 

フリースクールの日本の平均月謝は3万3千円といわれます。

運営側としては少なく、保護者側としては負担の大きい額。

本来であれば公共が負担していくべきものかもしれません。

 

木舎は変えるべきはまず「自分」からという考えに立って、

自分自身のできることからはじめて、

社会に対して問いかけていくことを続けます。

木舎の理念

木舎の理念

野山や自然の
あそび場・まなび場

遊びが学びに、学びは遊びに。

遊びの時間は自由であり、もっとも子供にとって集中が深まっている大切な時間です。

教育とは「子どもの本性・自然を自然のあるがままに任せ、自然本来の仕事を助けるために周囲の状態に気を配る」*こと。

野山での遊びや里山の暮らしは子ども本来の自然、発達を引き出してくれます。

大人が心理的安全性を確保しながら基礎学習も含め、多岐にわたり学ぶことをめざしています。

宿題はありません。

強制されたものをこなすことは自主性を阻害するからです。

成績表もありません。比較は大切ですが、人を比較することは成長には逆効果となるからです。

経験によっては学ばないようなこと、全く知らないこと、抽象概念など、大人が伝えるべきこともあるかと思います。手間暇がかかるかもしれません。保護者の努力も必要になるかもしれません。

大人も迷いながらも、それぞれの子どもたちの興味、関心を持ち始めたタイミングに寄り添って、学びが深まることを続けていきます。​

*エレン・ ケイ(E. K. S. Key, 1849-1926)

気持ちを聴き合う
カウンセリング

木舎 mokshaがモデルにしている徳島のフリースクール、トエックではカウンセリングの神様と言われるカール・ロジャースのPCA(パーソンセンタードアプローチ)を大切にしています。目の前にいる個人を、かけがえのない人間として畏敬をこめて向き合うのです。
そのカール・ロジャースは、
「人間は誰でも、成長や適応や健康へと向かう根源的な力を持っている」と言います。つまり、成長や適応のために、何かを教えられる必要や強制はいらない、というのです。

①無条件の肯定的配慮…受容的に温かく見守る態度
②共感的理解…相手の気持ちに寄り添い、 傾聴し理解しようとする態度
③自己一致…裏表なく純粋で正直な想いと行動がひとつになっている態度

カウンセラーにこの3つの条件がそろっている時、人は建設的成長、発展を遂げる、そのための特殊な技能は必要としない、と言います。
木舎では、大人たちがこのカウンセリング・マインドを持って、他者に対しても、自分に対しても、気持ちを聴きあう場を大切にしています。
それが子どもだけではなく、大人たちにとっても心理的安全性のある場を生み出し、やがて自律的で、他者に対しての思いやりのある探求、挑戦、発達へとつながっていきます。

からだとこころを認める
ヨーガ

いまの子どもの存在を認めること。

子どもはいま感じたことで気持ちが生まれ、そこから考え、自分で決定し、実行しようとする一人の人間です。
大人は、過去の経験が多く、子どもの考えを軽んじてしまいがち。
子どもを「正しい答え」に誘導したりせず、ただただ存在のかがやきを信じること。
今の気持ちを認めることが大切だと考えます。
その人の、そして自分自身のこころ、気持ちを、裁かず、認めていく…
そういった環境、あったかい雰囲気がある時、人はのびのびと自分自身になれます。

ヨーガは、からだを丁寧に動かし、呼吸を見つめながら、自分のいまの感覚、感情、考え、存在に対して、裁かずに認め、OKを出し、受容していきます。そのなかで自分本来の自分へと成長していきます。

ヨーガを実践する中で、周りの環境、他者に対しても成長を促していくように見えます。マインドフルネス瞑想が世界規模で広まったように、ヨーガも教育の現場、会社、組織、どんな環境にも、大切になってきていることを感じています。

代表やまぴーのプロフィール写真

代表:やまぴー (山口 剛) 

アラスカをカヌーで川旅の後、(株)山と渓谷社 大阪支局の編集者・カメラマンに。アジア、アフリカ、中東を1年7ヶ月旅し、帰国後大阪にてパートナーとヨーガ教室を10年営む。ヨガ、ヴェーダーンタ、アーユルヴェーダを学びに毎年のようにインドに通う。父になったことをきっかけに鳥取・岡山へ移住。フリースクールスタッフを1年経験、カウンセリングを学びながら、徳島のフリースクール・トエックをモデルにこの一年半、子どもたちと実践中。

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