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トエックのコミュニケーションのチカラ

やまぴー

2023年1月14日

(書き起こし)

木舎ラジオやまぴーです。

今日は徳島にあるフリースクール、トエックのフリースクールセミナーに行った時の話をしたいなと思います。

『やまぴーってトエックでトエックの子どもたちと会ったんですよね?』っていう質問っていうんですか、問いかけがあって、(トエックの子供たちって)どんな子だったんですか?っていうのを聞かれたんです。

セミナーでは1日実際にスタッフが子どもたちと関わってる様子を見るチャンスがあるんですね。

どんなふうにしてそのスタッフが子どもたちと関わっているかっていうのを実際に1日どのように過ごしてるかを見させてもらうんです。

セミナーに参加してる人たちは基本名札つけていたりして、メモを取るような感じにして。この人たちは遊ぶ人じゃないからね。っていう風に子どもたちには説明してあって、もちろん喋ってもいいんだけども基本お仕事で来てるから遊ばないよっていうふうに伝えてある感じですね。


トエックの子供たちは自立し、依存せず、他者を尊重する

セミナーに参加してる人たちも、もちろん見たいわけで勉強したいわけであんまりね、子どもたちと関わってしまうとその子だけになったりとかしてしまうから、ちょっと遠目に見てる感じなんですね。

僕もその遠目に見てるのでその子たちそれぞれのその個性というのか、どんな子かなっていうのはちょっと離れてみてる感じで喋ってはいないですね。

ま、僕はなんだろうな、どんなことを見ようと思っていったのかな。

個々のね、その子その子を見ていくっていうのもあるんですけど、なんかぼんやりとその空間に自分がいるんだなっていうのを感じとるようにしてたように思います。

その時に来てた子どもたちの人数とかもちょっとはっきりともう忘れちゃったんですけども、どんな子たちだったですか?っていうね、質問がやっぱり出てくるのは、ほんとその子その子の個って言うんですかね、個人が非常に立ってる。

こう何かに依存しているわけでもなく、何かこう自分が自分がと誰か他の人を押しのけているっていう様子はなく、それぞれがその心地よいことを自分なりにやりながら、でも周りがどうなってるかもちゃんとわかってる人たちだなっていう感じがしました。

お客さんとして来てる人たちに特に遠慮することもないし、特に関心持ちすぎてなんて言うんですかね、構ってっていうようなことも全然起きない関係。

僕が見た雰囲気っていうのかな、感じたのはここは大学生、子どもたちがいる学生の子どもたちが、なんだろう、学食とかで喋ってる雰囲気なのかなっていう感じの、すごく自立した感じっていうんですかね、そういう印象を受けました。

とっても心地よかったですね。

そのトエックの育ちの中で、もしかして、なんだろう。トエックでやってないことをやっていくとよりもっと良くなんのかなって思った、その時は思わなかったんですけども、もし思うとすればっていうぐらいで、考えられたのは小学校の高学年の子どもたち、5年生、6年生とかぐらいですかね。なってきた時に、彼らの能力はかなり、なんていうのかな。すごく高い感じがするので、その時に今スタッフがやれていること以上のことがもしかしてやりたいんじゃないかなっていう、そんな雰囲気っていうんすかね、ちょっとうずうずしてる何かやりたいんだけどっていう感じはちょっと受けました。

うん、でもわかんなかったですけどね。そのはっきりとしたものではないんですけども、もっとやれるぞっていう雰囲気がすごい。後から思えばなんですけども。

でも、それはそのトエックの欠点ではなくて、トエックにいるっていうことで、かなりこうなんだろう、公立のその小学生とか一般的な小学生に比べたら、成長しているスピードっていうのはすごく高いんじゃないかなもしかしてっていうところですね。

だから、ニーズ的に言うとちょっとなんだろうこう小学生システムそのものがトエックに行ってしまうと、早くもう5年生ぐらい4年生か5年生ぐらいなったら、中学生に入ったらどうぐらいの印象ですね。

飛び級できるんだったらその方がいいんじゃない。みたいな、そんな感じがもしかしたらあるのかな。


抜群に優れているコミュニケーション能力

で、トエックのその何よりすごいなと僕がそのセミナーを受けて思ったことは、コミュニケーション能力の高さかなっていうのが1番ですね。

なんかこう自分たちが普段しているコミュニケーションはトエックからすると小学生レベル、幼児レベルっていうんですかね。

コミュニケーションってボールのやり取りに例えたりもしますけど、いいボール投げていいボールをパシッと受けて、その次にその受けたボールを返していくっていうのが基本のコミュニケーション、キャッチボールだったり、パス回しっていうんですかね。だと思うんですよね。

トエックのパス回しってなんて言うんだろう、ワールドカップレベルですね。

こうなんだろうな、あのパスがここで受けられたかっていうような感じのパス回しをしてる、あっていう感じ。もうなんか気づかないような、本当小さなこうメッセージがそっと受け止められて、それを大切に今ここに花を咲かせてるのかっていうような感じでした。

具体的なことをちょっと思い出したいなと思うんですけども、本当に繊細な細かいものがあるなっていうのをそん時受けてて、個々がちょっと出てこないんですけども。まあ、何々遊びがしたいねとかっていう言葉が1番最初の方でちょこっと聞かれたことが他のスタッフがその後受けて、場所がこの辺だと行けるなっていうのを自分で見に行って帰ってきて、どこそこだったらいけそうだよって言ってたら、子どもたちの受け止めの中にはっきりとね、これこれここで何々ごっこしようよとかって言ってるわけじゃないんだけども、私それしたいっていう、じゃあする?っていうな感じで、コミュニケーションが円滑って言うんですかね、どういうんでしょうね。

生き物のように動いて最初の1粒の種が芽を出し、枝を伸ばし、葉をつけ始めてっていうね、根っこがぐーっと伸びてるせいで、その上に伸びる勢いがうわあってこう早いんですね。

だから、そのパス回しで言うと、自分たちでもう直接誰かに言うっていう時にまっすぐ投げたかなっていうところがもうできてるか、できてないか。

投げてないことも多いですよね。投げてないのになんで受け取ってくれないんだよとかっていう不満もあったりとかして、投げ方がすごい乱暴だったり、投げたつもりでも全然違う方向に飛んでるのにそのことに気づかなかったり。

受け方がまあ受けてないとかねこうボール飛んできてるのに全然見てないとか、コミュニケーションそのものがそういうレベルのところが多いと思うんですけども。

それに比べてワールドカップレベルのトエックのコミュニケーション能力の高さっていうのは、そのボールを本当にうまく回すなっていう感じが僕は受けましたね。

もう本当自然にやってるので、とってもね、これって誰がどうパス回してたのかなとかいうぐらいのその繊細さで回っていっちゃうので、たまたまうまくいったなっていうように見えるかもしれないっていうな感じですね。

陣取りみたいなやつかな、そんな遊びとダンスしている女の子たちとか、ご飯をそれぞれ食べてる時に何人かで喋ってる会話、そんなのが印象的だったですけど。

会話なんか面白いこと思いついた子がいたのかな。あれは、ダジャレじゃなかったと思うんだけど、なんかケラケラ笑ってて面白いよねって、入ってこない?って言って誰かに声かけたんだけど、その子は全然違うことやってたんで俺はいいとかっていう感じだったのかな。

誘い方と断り方がすごく自然で誰も何も傷つかないような、とってもいい形でやろうよっていう声かけと、いいよ俺は今、という断りがあったところが印象的だったなとか思いましたね。

トエックのコミュニケーションはやっぱりそこのベースメントで元々どんな時の気持ちも聞くっていうことに、ちゃんと聞けない時もあると思うんですけど、そういう時はごめんね聞けなくてっていう感じで断って後でまた聞くからねっていうコミュニケーションを取ってると思うんですよね。

なんだろう、具体的に僕がセミナーに行った時にこういう風にやっていくといいなって思ったことは少なくとも自分が意識してないしにくいようなところにもちゃんと意識していこうっていうことを心がけて、まあ何人か例えば子どもたちがいるあるいは大人たちがいるっていう時に、必ず全員に何か何らかのメッセージが自分は持ってるはずだっていう、なんだろう、心がけるって言うんですかね。

自分から何か発信してその人たちにちょっとタッチしていくっていうんですかね。

触れ合いっていうとこまでいかないかもしれないようなメッセージを自分はいつも持っていて、それは自分にとってはもしかして些細なことかもしれないけども、相手にとってみたら些細なことでもないかもしれない。

そういう大事な言葉だったり、大事ななんていうか気づきを自分はひょっとしたら他の人に対して何か与えるチャンスがあるのかもしれない。

そんな何気ないんですけども、他の人に会う通りすぎる瞬間にぱっと〇〇ちゃん、いい色選んで折り紙やってるんだねとか、例えばすそんな言葉をかけながら自分は用事があるから通りすぎるだけなんだけども、手で言えば『ぽんっ』と触れるっていうんですかね。

言葉で触れてってもいいし、もちろん何やってんのって言って、目であるいは言葉で声で少し手を体に触れるっていうな感じかもしれないですけども、そういったタッチをしていく。

で、全員何かしらのコミュニケーションを取れるはずだっていうところにトエックはいるように思うんですね。


自分たちもトエックのようになれるのか

それは1番最初にトエックに行った時からあの感じてたことなんですけども、ちょっとしたことでも『こんにちは』ぐらいの挨拶をしようよっていうのはどこでも言う言葉なんですけども、挨拶以外に通り過ぎながら天気のことだったりとかね、今日は天気よくてね、気持ちいいですよね、みたいな感じで通り過ぎていくとか。子どもたちが今楽しそうにやってますよね、とかね。

そんな何かその人が持っているちょっとしたことをその通りがかりでも声かけてくれるんですね。

そうすると、どんなことが起きていくかっていうと自分が好きなことをやってる時にこんなことやってんだねっていう風に周りからスタッフが声かかってきたりとかすると、見てくれてんだなっていう。

背中を見てくれる。

で、何か自分が別に困ってるわけじゃなくても、つまんない時にどうしたの?って声をかけてくれたり、なんか面白くない、何かやりたいことないかな、とかだったり、別に面白いこと面白くないことじゃなくてもそんなこと言ってるんだねとか、声かけてくれると私はそこにいるっていうことをオッケー出してもらえてる状態だと思うんですね。

それは好きなことをやってる、あるいは嫌いなことやってる、あるいは何もやりたいことがなくてただ待っている状態。

つまり、Doingやるっていうことに対して、いいとか悪いとか心地いいとか心地よくないとかっていうところに反応してるのではなくて、必ずそこにどういうするっていうことがあったとしても、あるいはやらないってことがあったとしても、その人はそこにいるんだねっていうことを認めているっていうことが起きている。

あなたはそこにいるっていうことがあるんだ、そこでいるんだねっていうことをあの声かけの中に含んでると思うんですよね。

そこにそういうことが本来の自己肯定に繋がるっていうんですかね。

どうしても肯定するっていう時にありがちなのは何ができるから肯定できるとか、できたですね、成功したとかねっていうことが肯定できることが多いと思うんですけども、失敗したら自己肯程低くなりますよね。

何もないんだ俺には。とかね、やれることがないんだっていう時に肯定できなくなってくる。

トエックの場合の認めるっていうところの意味っていうのDoingに対してではないんですよね。

ないってことはないんですけどDoingを超えた先にある本当のベースメントであるBeingあるっていうこと。


まず「ある」を認める

そこにあなたがいるのねっていうことはとっても大事なことなんだよ、すごく意味のあることなんだよ、というメッセージを含んだ言葉かけがそこにはあるんだなって僕は感じていて、それこそが本来ベースメントとして育てなきゃいけない自分を肯定するっていう力になると思うんですね。

認められているっていうことがベースメントにあると自分はやりたいことをやってる時にそれを自分で認められるだろうし、それは他から認められてなくてもそれを見てくれてる人もいるっていうことを知ってるっていうことが起きてると、やっぱ誰からの評価っていうことで生きるわけじゃなくなってくると思うんですね。

誰の評価も気にせずに私があるっていうことを誰かが認めてくれてる。

何かができたから認めるんでなく誰かが何かができなかったから慰めてもらうでもない、あなたがそこにいるんだねっていう認めっていうのは、他の人も今度はそういう認められ方した人は他の人に対しても評価して誰かを認めていこうとかっていういう生き方は多分しないと思うんですね。

誰かを評価して自分を自分自身を上げたり下げたりすることもしないですし。

ただ大切なことはあなたがこうやってるんだねっていう中になんて言うんすかね、相手に対しての思い、考え、気持ちに対する理解があるからこそ声かけができるとは思いますね。

もちろん、Doingに対しての理解っていうのもあっての声かけがある。

そこではやっぱりこうなんだろうなあ。理解されてるっていうことっていうのはそこにあるっていうことと結構近いんじゃないかな。

ただね、理解してなかったとしてもそこにいるのねってこともできるので全部が全部理解にいってなくてもいいと思うんですけども、できればやっぱり理解されてるっていうのはすごく嬉しいこと、存在を認めてもらってるっていうことにすごく近づけると思うので、言葉の内容っていうのもそこは全くね全然ずれちゃった言葉かけよりもやっぱり理解されてる感のある言葉かけっていうのは大事かなとは思います。

今日はトエックフリースクールセミナーで感じたことを少しお話させていただきました。

木舎ラジオこの辺で終わりたいと思います。

ありがとうございました。

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