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娘が小学校に行ってみた② 教育の進化と課題

やまぴー

2023年1月1日

娘が学校に行ってみた②

 (書き起こし)

木舎ラジオ やまぴーです。前回は、小学校に娘が行ってみたっていうところで、 話が終わってますけども、その中で、5時間目の授業の国語に参加させていただいて、 僕も一緒に授業を受けたんです。その中で感じたことが色々あったので、それをまたお話できたらなと思って、続きを話してみようと思います。


国語の時間でまずびっくりしたのが、 (略)

たけのこ読みっていうのがあるんですね。

(昔は)朗読では、読んでくださいってたら当てられて、 ここまで読んで、はい、次の人みたいな読み方をやってきたんじゃないかなって、僕の世代はそんな読み方をしてました。

(たけのこ読みでは)当てられて読むっていうやり方ではなくて、全員が読むのでもなく、文章のある部分、ある部分ごとに読む人が変わる。1人で読むところもあるし、3人で読むところもある。次また違う人が4人で呼んだり。また1人の人が読んだりっていうな感じで、自分のパートっていうんですか、その台割りみたいな感じで、ここは私が読むみたいな決めたんじゃないかなっていう風に思うんですけども、

そんなふうにして読んでいくと、ちょっと演劇っぽい。みんなが合わせて読んで、元気のない人もいれば、元気のある人もいればっていう感じで、よく聞こえる声の子もいれば、読むのに慣れてない人でも、勢いのある子に乗って、読んでるように聞こえる。

だから、授業としては、勢いが出てくる形でした。

これをタケノコ読みっていうんですね、 知ってましたか?

僕は初めて知りました。

タケノコの皮を剥くようにってことなのかな。1枚1枚。

みんなが立ち上がってる姿は、こうポっと立って、また周りがわっと立って また3人になったり、4人になったり。

なんか面白かったですね。ポコポコっと頭があ、読む時は立ち上がるんですね。うん、そういうのがタケノコっぽいのかな、

僕は圧倒されたというか、 で、しかも、それを決めたのが、その前の時間だけだって話が後で出てくるんですけども、

(授業のやり方は)変わったなって思いましたね。ただただ先生の言ってることを聞いて、じゃあ答えてくださいっていう、はい、手あげてっていうようなのは見られなかったですね。そういう授業のやり方っていうのは、今時ないんでしょうね。

で、その今時ないっていうのが続くんです。

次の新しい文章ここまで読んでみましたね。っていうとこあって、その次のところのところで、 気になったところ、今から6分時間を上げますので、線を引いてくださいっていうな感じで やってました。で、6分の間に自分が気になったところ、線引いていきましたね。

で、6分がタイマーちゃんと黒板の横にピタっと張り付けてあって、ピピピピピピピピピってなるんですね。で、 それは娘が学校に行かなくなった原因の1つだったんですけども、あの、タイマーがピピピピピピってなって、あの、彼女が嫌になったのは、

1年生の時だったですけども、ご飯を食べる時間をそのタイマーでセットされて、で、そこでピッて、 じゃあ、この時間で食べてくださいっていうのがあって、で、 私はその時間内に食べ終わったんだけど、まだ食べてる人がいる中で、そのピリピリピリってなってるっていうのが、彼女にはすごく耐えられなかったらしくて、

それが嫌だった。あ、それで学校行きたくないって思ったって言ってました。あのタイマーの音は僕もちょっと結構強い音だなって思いましたけども、子供によっては、ああいう音が ね、敏感な子は、きつく感じるのかなっていう風に思いましたね。

ま、そのタイマを使う利点も多分あるので。一概にその使うなっていうことじゃないんですけど、その6分でまだできてない人がいるので、あ、また1分とかっていう形で増やしてましたね。で、じゃあ

先週引けた人は誰かいるかな、っていう感じだよ。聞いてで手上げてもらって、みんなが出していく。他には?他には?って言って、 ま。ほとんど線が引かれるような形で、

本当は、なんか先生としては数ヶ所で出してほしいところはあったと思うんですけども、子供としては、もう全部もうここも気になる、ここも気になるみたいな感じでした。最終的に1番っていうのはどれかなってうのと、2番っていうのはどれかなっていうの3番どれかなっていうのを出して、

最後まとめてました。

で、途中何々さんがあの答えた答え方は よかったねっていう話がありました。それは、そのそこの線引っ張ったところっていうのは、 なんでそういう風になったのかが不思議だなと思ったので、ここは気になります。っていう、答え方をしてたので、

その線を引っ張った気になったところと、その理由っていうのを述べてましたね。それは、いい答え方ですよ、みたいな感じで、 褒めてましたねで、もう1つ

登場人物っていうのをありましたね。って言って、そこにはすみれちゃんっていうのと、 面白人何々ちゃんっていうのが出てきて、え、この人はどんな人物でしょうか。っていう問いを出してました で、そうすると、色んな答えを出してくれますね。

何々ちゃんのお姉ちゃんとか、

小学校2年生とか、うん、元気とか

妹思いの強いお姉ちゃん、

思いやりのあるお姉ちゃん、とかいうのがいっぱい出てきて、 で、先生が最後にこれ。あの、私先生は右と左に分けましたけ7出して、

子供たちがまた色々答えてで、先生はこれは 、文章の中に出てきた言葉を使ったのが右側に書いてあります。で、左側には そう色々感じたこと、その書いてないけども、みんながこういう風に感じたよっていうこと

こう言葉を書き出しました。こういうふうに、うん、書いてある言葉 を吐き出してっていうことを意識するっていうのは、すごく大事なことです。っていうな、あ、まとめがあったんです。

まあだ、こういう風な流れを見てもうー、自分たちの、ちっちゃい頃の国語の時間とは、だいぶ違うような気がしました。

自分たちの頃の国語の時間もやってたのかもしれないですけど、僕は全然気づかなかったですかもしれない。

何が違うかなと思ったら、いろんな個別の気持ちを まずは書いてみよう。出してみようっていうアウトプットの時間が結構多いなっていう風に思ったんです。

で、アウトプットから、この今度、先生がそれを吸い上げた中で、先生が 1つこれ大きなことですよ。っていう風にポイントを掴んでもらう。

あと、この時間はどういう風に進むかっていう、これからのマップってうんですかね、ロードマップって言うんすかね、2週間の中で10時間あるので、こういう風に進めたいと思います。っていうような、ロードマップみたいなものを示してました。

で、これからは考えを深めてみるっていうなことを進めていきますとかで、最後まとめになります。みたいなことをやって、 授業の進め方、そのものもこう見せる。

これって、考えるっていうことをどういう風に考えるかっていうとこまで行ってるので、 難しい言葉で言うと、メタ認知って言うんですかね。 そういう考えるっていうことは、どういったことと、どういった順序で考えた方がいいのか、

考え方はどうなんのかっていうとこまで考えるっていうのは、子供としてはすごいハイレベルな授業になると思うんですけども、 長い時間ね、それは説明してるわけじゃなかったですけども、先生はそこを意識してるなっていうな授業をしました。

こういった授業って受けたことないなと思ったので、そこはすごくびっくりしました。何かこう授業の進め方もう進化してるんだなっていうような。

公立の小学校で教え方がこんだけ進歩していくっていうのは、かなりやっぱり先生方も 色々勉強会とかされて勉強してるから、こんな風に変わってきたんだろうなっていう風に思いました。

大学の授業とかの進め方にちょっと似てるのかなって思ったんですけども、そういうなものを小学校の時から取り入れてるん じゃないかなっていう風に思います。

で、まあここまではそのはすごいなって言った部分、それから、すごいなっていうの反面なんですけども

うん、これで果たして子供たちがどうなんだろうなっていうところも、

やっぱり感じるとこもありました。

で、それは子供たちの様子を見て、そう思ったんですけど、先生はね、こういう高度なレベルのことを進めていってる、進めたいっていう気持ちが、どうしてもやっぱある で、そこについて行こうとしない子供っていうのは、やっぱり複数人出てくるんですよね。

まあ、椅子に座ってることがもだらんとなっちゃってる子とかがいる。時々何々くん、姿勢はそれでいいのかなとかっていう質問が来て

命令じゃないので、 そこも命令じゃなくしてるなっていう風に思ったんですけども、そうすると、他の子がいや、こんなふうな姿勢です。とかって言って、なんかピシっとかかして、

あ、何々くん。そういう姿勢はいいですね。とかって言って褒めて、だから褒めるっていうことをすごくこう入れてるなって思ったり、

何々しなさい!よりは、質問系とか、そういう風にしてみたりとかしてるなと思ったんです。

まあ、鉛筆カタカタ鳴らす子とかね。どうしてもいる。もう全然こうもう授業聞いてない感じになってる子もいる。

その日は、10人のクラスでした。3人不登校で、本当は17人 いるんじゃないかなと思うんですけども、

その少ない中、 国語の先生がいて、で、担任の先生がいて、で、多分うちの娘が来てたから かもしれないですけど、ソーシャルワーカーの人が、だか3人でそれ見てて。担任の先生とかが、ちょっとこうもう全然勉強ししなくなっちゃってる。ダラっとした子のところまで行って、よいしょって持ち上げてたりとかしたりとかして、 フォローしてましたね。

女の子はそういうことはない。女の子はこの年代、2年生ぐらいっていうのは、少し大人っぽいっていう感じがしますね。

で、男の子の方がその勉強ってもう要らないって感じの態度が出てたりとか。

うん、ちゃちゃ入れるってことに必死になって、

で、その子は勉強できないのかってそうじゃなくて、もう答えの時はピシピシって答えてたりするんですけども、すごいしっかり聞いていながら、ちゃちゃ入れる。

もうちゃちゃ入れること自体、先生がもう無視みたいな。こんな対応でした。

僕的にはカウンセリングをベースにしたトエックの考え方をを僕は大事にしたいなと思ってるとこなんで、そこから見ると、まあ、先生と生徒のコミュニケーションっていうのが ま半分以下。取れてない。これは辛い状況だな、うわっ辛いな!っていうのは思いました。

うん、しょうがないんじゃないかなと思うんですよね、これは、 だって、学校の先生もカリキュラムがあって、やっぱりそれをね。やっぱ進めたいし、もうね、1人1人対応できない 状態ですよね。もうしょうがないですね、先生もそういうシステムのところにいるんだから、そこをなんとかっていうのは、ちょっと難しいんじゃないかな。やっぱり え、そのー、質問あなたはその姿勢でいいのとか、

うーん、

うん、あ、いやいいですね。とか言って褒めるとかっていうことがあったとしても、やっぱりこう。その先生の気持ちの中のし、後ろ側にあるのは ああ、もう邪魔して、イライラして来るなみたいな、後ろ側が感じられてくる。もう授業最初の1発目に「それは授業聞く態度ですか!」って言って、1回バシって。

誰も先生が来ても、黙ってなくて授業始まらなかったですけども、そん時、あのー、先生はかなりイライラしたんでしょうね。 びしって、あの、いわゆる普通ですけども、先生としては、あのー、ちょっとこう

教室の中がすっと寒くなるような感じが起きました。

ああって思いましたが、 まあ、叱るっていうんですね、まあ、叱るんだけども、

コミュニケーションっていうのがね。やっぱり、気持ちを聞いていくっていうことが、ベースメントにあるとすれば、 うん、学校の先生って、そこまで多数の人の気持ちを聞いて、回っていると、 えー、やらなきゃいけないことが、やっぱりたくさんありすぎて、難しいんだろうなっていうのは

うん

感じました。うん、あ、無理ですよね

まあ、反面っていうんですかね。フリースクールのま欠点っていうのは、そういうこう

おー

ま、優れた、うん、カリキュラムって言うんですかね。そういったことを進めたい気持ちがあったりしても、なかなかそのみんながついてこないっていう時に、どういう風にそのおー楽しく、深く 何か勉強を進めていけるのかって時に、かなり

気持ちを聞きながら、それでもどんどん進めていくには、やっぱり大人数でね、子供対応していかないと 難しかったりま、スタッフによっては、多い人数をバッと

あのー

みんなの気持ちをちゃんと聞きながら、自分たちのあの気持ちよく成長していく方向へ進めていく。ツールも持ってるのかもしれないですけどもね。

えー、ま、こんなことを今思い出したんですけども、徳島トエックの

伊勢達郎さんの奥さんと、長い時間、何時間ぐらい喋れたのかな、1時間以上喋ってた あ、喋ることができたんですけども、そん時にえー、息子さんが、

あー、

学校行った時の話をしてくれたんですね、中学1年生の時だったと思うんですけども、1学期は行って、2学期に行かなくて、また3月期から行ったみたいな。

で、 その彼が、学校で感じたことを話してくれたらしいんですけども、学校って行くと、 みんな先生の話を聞いてないんだよねっていうことを

おお

言ってたと、みんな先生の話を聞こうとしてないのか聞いてない。それって先生言ってたじゃんっていうことをみんな聞いてないんだ。学校に行くと、みんな人の話を聞かなくなるんだよね、っていうなことを言ったのかな。

うん、

なんかそれってすごく

うん、うん、うん、

僕はこう深く胸に染み込んだ話だったんです。

コミュニケーションって、 そう、やっぱり、

自分の気持ちは何かなっていうことを大事にして、

自分の気持ちを誰かに聞いてもらおうということも大事にして、

それを聞いた相手の人がどういう風に受け取ったかなってことも大事にして、

相手の人の気持ちをまた聞いてみるっていうことも、大事にしてるっていうのが、コミュニケーションかなって思うんです。

けれども先生と生徒の関係性って、やらなきゃいけないことを伝えて、で、 やりたくないっていう気持ちは聞かなくて、やらなきゃいけないんだよっていうことを押し付けられるっていう関係性の中で

いることが多いと思うんですね。まあ、自分たちは少なくともそういった関係の中で、 えー、先生と生徒でいたような気がするんです。で、そうすると、先生の中にも本音の盾前みたいな、本当の気持ちは言わない。いや、生徒も生徒のふりしてるから、ま、本当の気持ちは言えない

ですね。どちらも言えない同士っていうのかな、でも、やりたくないんだけど、やってんだよみたいなところは。でも、いや、 やらしてもらいます。みたいなことで

やってるのかもしれない。

本当の気持ちっていうのは、置いてかれちゃってるコミュニケーションの中で、

聞かない方がまあいいやっていうか、もう聞いてるのがしんどいやって、

こんなにやりなさい。やりなさいとか言われてる。もうしんどいやっていうことは起きてるんじゃないかな。

そうすると、もう先生の言うことを聞いてない

生徒はたくさん出てくるでしょうし。

先生も生徒の言うことなんかなかなか聞けないですよね。

だから、聞いてないっていう先生はたくさん出てくるかもしんない。

まあ、そういうことはフリースクールでも起こりうることなんですけど、

ま、むしろ、こういう気持ちを聞くっていうことを大事にしている。フリースクールっていうのも、

本当はなかなかないのかもしれないですし、また、そんな話もね。できればなと思ってるんですけど、も というわけで、木舎ラジオちょっと長くなりましたけども、この辺で終わりたいと思います。

長い時間ありがとうございました。

うまくいかないでしょうし、今日は こういった感じで、えー教育もどんどん変わってるんだなっていう部分と、それから、 このままでいくと難しいところもあるなっていうところ。

公教育だけじゃなくて、フリースクールももしかして、色々考えていかないといけない部分じゃないかなと思ったところ ですかね。え、そう。コミュニケーションの問題ですね。

うん、

そういったことを感じさせてくれた1日になりました。

今日はこの辺で木舎ラジオ終わりたいと思います。長い時間お付き合いいただきましてありがとうございました。

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